「よーっしゃ!何があってもダイエットするぞ!いや今回はマジで!」と息巻いたのに、あっさりと辞めてしまう人、ものすごい大量におられることでしょう。ついでに「今日から禁煙する。これはマジ。いやマジでマジ」、そして次の日にタバコをふかしている。あの決心は何だったのか、と思いませんか。
「つもり」の決心
ある時に本気で決心していたはずなのに、一晩寝たら何のことはない、もう元の木阿弥なんてこと経験ありませんか。そしてそういった人が周りにも結構数いたりします。
あれは、決心しているのではなくただ単に「希望的観測」を述べているに過ぎないんですね。「よーし、やるぞ」ではなく「やれたらいいな」な訳です。とどのつまりは本気度・覚悟が足りていないということになります。
そのタバコ、辞めないと死ぬけど?
もし医者にこう言われたらどうでしょうか。恐怖でタバコなんて吸ってられないはずです(※もちろん例外の勇者もおられます驚)。ダイエットしないと本気で死にますよ、と言われたら相当な覚悟で食べる量を減らせるはずです。
要するに、決心というのは自分の望むゴールへ向かう心、です。タバコ、ダイエット共に「生き延びる」というゴールです。自分の生命に危機が迫っているのですから、誰でも容易に決心出来ます。
希望的観測
ところが、「また次があるさ的な考え方」で決心をしても、それは決心とは呼びません。これぞ先述しました「希望的観測」でしか物事を考えていない、ということになります。
「こうでありたい」という発想も希望的観測です。極端な話ですが決心するということは、ある意味命懸けという事に似ている、と考えても良いと思います。それほどに「決心して立ち向かう」という行為は大変である、ということです。
生半可な気持ちで決心の言葉を口にするくらいなら、「いやムリです」とあっさりと諦めている方がむしろ決心した、と言えますね。潔くて気持ちが良いです。
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