自分にとって大したことがない情報や知識でも、いつか必ずどこかで役立つ時がやって来ます。いま現在の自分自身が、その知識や情報の価値を分かっていないだけです。成長するには常に情報に敏感でなくてはなりません。
学校での勉強は役立つか
例えば学生時代の「学び」の話。
「算数・数学って社会に出てから役に立つはずがない。いいとこ”計算が早くなる”とか、”理系の仕事に進んだ人だけに役立つ学問”だ、やってられない」
などと言い切っていた人、いませんか。
これは、その時のその人が、その価値を分かっていないだけであって、実際は現在の知識を形成するに当たって、絶対に糧となっている情報であるはずです。
知識を得る、ということは自分自身が成長していることにつながります。これは「絶対」と言って良いと思います。つまり仕事に関していようがいまいが、とにかく頭に入ることが大事です。
ところが今は学生ではありません。教養も知識も教育も与えてくれません。自分自身で得るしかないものなんです。そう考えますと、情報そのものが教科書みたいなものと考えても、決して過言ではないということです。
後悔の無いように貪欲に敏感に
昔に培った知識がいまの自分自身を形成しているのですから、実際に役立つかどうかは別にして
「現在得た一見意味のなさそうな知識」
も必ず役立つ日が来る、と考えておくべきです。
そう考えますと、どんな情報に対しても貪欲で、敏感でなくてはなりません。その姿勢が、数年後数十年後のあなた自身の状態を大きく変えます。
自分自身の「スキルの一つ」となっているからはずです。成長するための栄養素みたいなものですね。
だからこそ、今が大切だ、ということになります。
「あー、学生時代もっと勉強しておけば良かった」
と同じセリフを繰り返さぬようにするためにも。
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