当たり前だ、これこそ常識だ、と思っていた事がそうではなかったりします。そのような出来事にしょっちゅう出くわすのが社会であり、人生というものです。しかし社会人としては「絶対なる常識」が存在します。
個人の常識=個性
あなたが思っている常識が「絶対」ではありません。あなたにとって非常識なことでも、その人にとっては常識である場合もあるはずです。
例えば「男性と女性」は違いますね。男女差別という意味ではなく、こればかりは仕方のない違いです。あとは国によっても、文化によっても違いますね。そう考えますと、常識は非常に曖昧で不確かなものです。
もちろん同じ人間ですので、基本的にはシンクロしていますが、その中に確実に「考え方の隔たり」なるものが存在します。どちらが正解でも不正解でも、常識でも非常識でもありません。これは「個性」と言えるかもしれません。
つまり、同性だろうが同い年だろうが同じ故郷だろうが、目の前の常識は絶対的ではなく相対的だ、ということです。自分では非常識と思っていることも受け入れていくことで理解を深め、自分の視野が広がり、懐が深くなっていくのです。
だからと言って、何をやっても個性で済まされる訳ではありません。社会である以上、ここにはルールが存在します。そのルールをいわゆる「一般常識」と呼んでいます。受験などの”一般常識”ではなく、社会で一般的に採用される常識、です。
例えば、あいさつをする。悪いことをしたら謝る。仕事はきっちりとやる。嘘をつかない。数えればキリがありません。
これらだけは、社会人、勤め人である以上は守らねばなりません。そして守るためには、これらを知っておく必要があります。
何だかんだ言っても、結局は一般常識だけは頭に入れておかねば成立しない、ということです。
「そんなものは俺には不要だ」
「ルールに縛られたくない」
という人は、プライベートで是非。
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