特に大舞台で「絶対に失敗が許されない場面」なんて時は少々恐怖に感じることさえありますね。では「失敗・ミス」とはどのように受け止めるべきなのか、細かく分析してみましょう。
失敗はOK
「失敗はしても良いんだ、次に生かせば良いのだ」という言葉をしょっちゅう耳にしていると思います。しかし当人にとってはその言葉が「馬の耳に念仏」だったり「一筋の光明」に感じたり様々です。
確かにどんなことにも「失敗はつきもの」と言っても過言ではありません。この世でパーフェクトなのは神のみです。しかし出来るならば失敗やミスはしたくないのは当然の心理と言えます。
失敗してもよい、ダメ、どっち?
以下の様な文章を学生時代、いやビジネスシーンにおいてもしょっちゅう耳にしてきたことだと思います。
- ぼーっとしているから失敗するんだ気をつけろ
- 1度や2度の失敗くらい何だ。気にするな
一体どっちなんだよこのやろう、と言いたくなるほどの反対例ですね。
そもそも失敗の本質とは何か。対義語から考えると
「成功の反対」
ということになります。
まるでバカボンのパパのセリフ「賛成の反対の反対なのだ」みたいなややこしい言葉ですが、要するに「成功しないこと」、これを失敗というのです。
誰でも知っていますが、時と場合によっては非常に受け止め方に問題が生じる言葉でもあります。一体どのような使われ方をしているのか、紐解いて考えてみましょう。
失敗のパターン
事務処理・流れ作業を100回やるうち1回失敗・記入ミスなどをする人、つまり1%失敗をする人間。これは残念ながら必ず怒られてしまいます。注意力散漫だのやる気がないだの、はたまた社会人失格だ、と罵られることでしょう。
しかしこんなパターンはどうでしょうか。例えば野球で考えてみましょう。
もしこの世に4割バッターが誕生したら、天才・神扱い間違いなしです。しかし4割打てるバッターということは、「6割失敗して神扱いされるバッター」とも言えます。
このように考えると失敗というのは「しても良いパターン」「してはいけないパターン」にちゃんと明確に分かれています。では言葉で説明するならば、一体違いは何か。
失敗の本質とは
簡単に言うならば「戦っている相手がいる場合」は失敗の回数増加は許可され、「単独業務・作業の場合」には失敗はほぼ許されない、ということになります。
要するに不注意さえ起こさなければ絶対に失敗などあり得ない、このパターンに当てはまる場合は「許されない失敗」ということになります。
つまり
その仕事における「失敗の平均値」を下回ると不良
とされるのです。厳密な数値、感覚的な数値はそれぞれの業務で考えれば良いでしょう。
「ちょっとミスしたくらいで血相変えて怒るなよハゲ親父」
と言っているそこのキミ、言葉を発する前に一度よく考えてみましょう。注意する方だって辛いんだから。
キーワード「成功・失敗・挫折」の例文テンプレート
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